被爆80周年にメッセージ資材運搬で戦後復興に貢献

マツダ株式会社

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地域密着の自動車メーカー

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 世界に年間130万台の自動車を供給し、人間中心の開発哲学や走る歓び、魂動デザインなど独自のコンセプトで存在感を示す。国内上場企業の売上高で40位以内にランクするグローバル企業である一方、地元広島に根差した姿勢を重視している。
 2025年8月6日は被爆80周年。社史をひもとけば、1945年の原爆投下に関する印象深いエピソードがある。
「本社敷地内の付属医院は負傷者であふれ、生き残った社員は悲嘆と虚脱を振り払い、負傷者の介抱にあたった。倉庫の医薬品は全て提供し、食堂や寄宿舎を開放。比治山が壁となり壊滅を免れた社屋を間借りしたいと、県庁や地元企業から相次いで要望があり、自社の操業再開にも目途が立たない状況であったが、社長の松田重次郎は二つ返事で受け入れた。決して広くはない社屋に官民入り交じって人々がひしめき合う。困ったときの助け合い。人の心のごく自然な振る舞いだった。焼け野原になった町を見つめる重次郎にとって、この奇跡だけが希望の光だった。この出来事を境に、東洋工業(現マツダ)と郷土広島とのきずなは、揺るぎないものになっていった」
 終戦直後の混乱の中、わずか4カ月後に三輪トラックを生産。ある者は復旧ままならない鉄道を乗り継ぎタイヤを求めて九州へ出向き、ある者は燃料タンクを譲り受けて鉄板を切り出した。希望が実を結んだという。皆が力を合わせて復興の原動力を生み、資材輸送などを下支えしながら経済再生につなげた。当時の海外向け三輪トラックのパンフレットでは「a pride of Hiroshima!」と自信を示しており、その鮮やかな文字が目を引く。
 戦後間もなく地元の主要企業と共に「二葉会」を立ち上げ、カープ設立に出資するなど地域活性化に貢献してきた。市民がたる募金で支えた旧市民球場跡地では現在、プライドオブヒロシマ展が常設されている。

被爆80周年の取り組み

 被爆80周年に合わせた取り組みを積極的に行い、25年5月には「へいわ創造機構ひろしま(HOPe)」に1億円を寄付した。核抑止に頼らない安全保障の研究や核兵器のない持続可能な未来に向けた提言、それらの重要性を伝えて将来を担ってもらうための若者育成プログラムなどに充てられる。毛籠社長は「平和を願うメッセージをより強く発したいと考えた。広島は不屈の精神で復興。その後、戦争のない日本で安定的に事業を続けられ、当社が大変なときにはBUYひろしま運動などで支えていただいている。ロードスターは平和な社会だからこそ楽しめる。不確実性の高い時代だが、地元のサプライチェーンを守り抜くことが広島への恩返しだ」と話す。
 7月には、被爆の記憶と復興の歩みを伝え、平和への思いを地域と共有する朗読劇イベントを本社ロビーで開催。元サッカー日本代表の下村幸男さんが主人公の「広島サッカー復活物語」と、焼け野原の広島でバタンコ(三輪トラック)の生産に挑んだ人々とものづくりの力を描く「広島バタンコ物語」の2作品を上演。朗読は修道中・高放送班やテレビ局アナウンサーらが担当し、生演奏が彩りを添える「絵おと芝居」形式とした。
 平和な未来。同社の2030年ビジョンのパーパス(存在意義、役割)に掲げる「前向きに今日を生きる人の輪を広げる」を体現していく。



会社概要

マツダ株式会社
本  社:安芸郡府中町新地3-1
設  立:1920年1月
資 本 金:2840億円
売 上 高:5兆188億円(2025年3月期連結)
従業員数:4万8783人(連結)
事業内容:乗用車・トラックの製造、販売など
T E L:082-282-1111
U R L:http://www.mazda.co.jp
メール(採用のお問い合わせ):saiyo-k@mazda.co.jp
※2025年9月当時の情報です。